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閑話究題 XX文学の館 駄文雑録

雑誌蒐集遍歴


「彷書月刊」三月号(平成十四年)に当館の「雑誌資料」が紹介されたのを記念して(と一月遅れの話題を無理矢理持ち出して)、泣き笑いとペーソスがいっぱい詰まった、というよりは、殆ど泣きだらけの館主の雑誌蒐集遍歴などをひとくさり。

雑誌の蒐集というのは難しい。最大のポイントはバックナンバーである。少なくても数冊、多ければ数十冊に亘るバックナンバーを揃えきれるかどうか。二番目は保存状態である。活用されたもの程状態が悪くなるのは単行本でも同じであるが、造作が簡単な分、破損しやすい性質を内包しているのが雑誌の特徴でもある。このことは、汚れの有無よりも始末が悪い。極美で完揃いの雑誌というのは普通は無い。趣味誌のようなものは、例外的に綺麗なまま揃いで保存されていることもあるにはあるが…。従って、雑誌の蒐集は、「落丁を含む破損が無く、歯抜けの無い揃い」であることがその主眼となる。その点は、当館で扱っている会員制の軟派系雑誌でも同様である。バックナンバーの点からは、会員制であるが故に最初から発行部数は多くはなく、官憲による摘発がある分、さらに状況は悪い。雑誌に限らず、この手の分野の書籍は、保存を目的に買われることが少ないので、保存状態は推して知るべしである。

「まず雑誌から揃えろ」「単行本を売っても雑誌は売るな」と言うようなことを何かで読んだ記憶がある。極少数の例外を除けば、どんなに数が少なくとも、単行本は必ず出てくるが、雑誌を揃えることは難しい、ということを示唆しているのである。一見逆のようであるが、「雑誌はバラで買うより揃いで買え」と言われたこともある。揃えることが難しいものを揃いで買えとはなんたる矛盾、とも思えるが、これは至言である。揃えたい雑誌があった場合、バラや数冊で出た時、どうしても手が出てしまう。特に希少性が高いと言われるもので、未見の場合に顕著である。しかし、これは底なし沼に足を踏み入れることと同義である。

当館に於ける揃わない悲惨さでは、戦前の【変態資料】二十一冊に止めを刺す。この雑誌は、数が出ていることもあり、それ程稀覯性のあるものでもないので、揃いで所蔵している人は少なくないと思われる。しかし、その何時でも手に入りそう、実際手に入った、という事実が、完全に裏目に出てしまったのである。多少ダブっても手当たり次第に入手して行けば、それ程時間を経ずして揃うだろう、との考えで、なるべくダブリの少ないものを選んで購入して行った結果、ほぼ倍近い冊数を購入しても一冊欠けたままである。時々揃いが出ることがあるが、いまさらの感が強く、相変わらず辛抱強く待っているのが現状である。この世界に入って最初に入手した雑誌がこの【変態資料】であるから、二十数年掛かっている勘定になる。巧い蒐集の方法(そんなものがあるのかどうか疑問であるが)を知らなかった時に、総冊数の少なくないものに手を出したのが敗因であろう。最早、積極的には探していない、ということも未だに埋まらない理由である。

費用の点から悲惨であったのは、戦後の【生活文化】十四冊である。同じ書店の目録に、一冊欠と五冊欠(記憶が定かでない)が出たのであるが、当時の入手不可能という刷り込みに踊らされ、両方を購入して揃えた。総額は近代以降の物では単行本、雑誌を問わず、当館で三番目の高額であったと思う。現在(平成十四年三月)、安ければその時の不揃い二組の購入価格の六分の一から七分の一で揃いが入手できる。残ったバラは購入価格の四分の一程度で同好の士に譲ったので、赤字ではあるが、多少は元を取り返したことにはなる。現在の揃いよりも高い値段で不揃いが処分できたということも、入手不可能というフレーズが、業者も含め当時のマニアの間で既定化されていたことの査証であろう。尤も、資料的価値を勘案した場合、現在が安すぎるのでは、とも言えるのであるが…。おまけに、内緒の話をバラしてしまうと、所蔵する第二号は実は再版であり、その後何冊か見たが、初版の現物には未だお目に掛かれていない。

東京限定版クラブの【奇書】十六冊も似たような経緯を踏んでいる。創刊号を除く十五冊を最初に入手、創刊号単独(または含む数冊)を待ったが現れず、揃いが出たので購入した。最初の十五冊は、創刊号のコピーを付けて同好の士に転売、最初の購入価格の三分の一程度であったが、揃いの価格とほぼ同程度であったので、創刊号分だけ浮いた結果になった。と言えなくもないが、もう少し待っていれば…。只、この雑誌も、別冊が何点か抜けている。

勿論、バラ買いがうまくいったケースもある。昭和三十年から三十一年に掛けて刊行された、最後の本格的性関連雑誌といわれる【新生】五冊は、最初に一、二、四号の三冊で買い、それ程の時間を経ずして三、五号の二冊を購入、全くの無駄無しで揃った。先行した同系統の【生活文化】【造化】も稀覯誌といわれているが、それ以上に揃えることが難しいとされていたものである。館主がこの世界に入った頃は、三誌とも今となっては入手不能と解説されていたもので、実際価格も高かった。しかし、今にして思うと、入手のし難さはそれ程でもない。【生活文化】【造化】の揃いは年に何回かは出ている。しかも今は安い。但し、【新生】の揃いは過去に二回しか見たことがないので、こちらの揃いが入手し難いのは事実である。

戦前の雑誌では、【変態黄表紙】全四冊が成功している。二冊づつバラで入手し、揃えた。何れも総冊数が少ないのでうまくフィットしたのであろう(と書いた後で思い出してみると、一冊ダブっていたかも知れない。最早忘却の彼方である。)。これが、総冊数が多くなると状況は一変する。同じ戦前の【談奇党】八冊は七冊揃えた時点でダブリが二冊、最後の一冊を待つこと十余年、つい最近、四冊で出た中にあったのを入手してダブリが五冊、それでも掛かった総費用は、現在揃いで出ているものよりは安い(この揃いが高すぎると思うのだが…)ので、まだましであると慰めている。

【文芸市場】は、まとまって出ることが少ないので(正直に言うと、揃いで出たのを見たことがない)、バラ買いである。当館では、純軟派への転換点になった三巻六号以下四冊を紹介しているが、それ以前のものも少しはある。勿論、全てバラ買いである。後続誌の【カーマスートラ】五冊と別冊は、一冊ずつ集めて五冊にしたのでダブリはないが、別冊は未入手のまま十数年過ぎている。この別冊は、もう無理かも知れない。文芸資料研究会の【奇書】十一冊は、三回か四回に分けて入手したが、ダブリは二冊程度であったと記憶している(余り思い入れがないので、印象が薄くて申し訳ない)。

戦前の【稀漁】、戦後の【稀書】【造化】は最初から揃っているものを入手した。会員制の雑誌ではあるが、地下出版とは言い難いので当館では紹介していないが、酒井潔個人編述の【談奇】七冊(昭和五年五月 〜 昭和五年十二月)がある。某古書展(失念)の土曜の午後の棚に「奇談」と書かれた雑誌が残っていたものを、一瞬首を傾げて手にし、購入した。本来漢字というものは右から左に書くものだが、最近の古書店はそんなことも知らんのか(アルバイトに書かせている?)、と思ったのだが、これも十数年前の話である。別に読み方を知らなくとも、扉に縦書してあるのに…。

【セイシン・リポート】三十五冊は、少し特異なケースである。ある程度まとまったバラを最初に購入、抜けているものを何冊か入手した後、揃いを購入した。この揃いは、当時としては安かったので、躊躇はしなかった。只、価格からは、ライバルが多そうな気がしたので、入手できるとは思わなかった(早い者勝ちで取れたことのない店ということもあったので…)。結局二十冊以上がダブってしまったが、交換用に何冊か使用した以外はそのままにして置いた。蒐集から研究に軸足を移した時、初期の号はダブリでなかったことが判明した。正確に言うならば、ダブリには違いないが、版が異なるものであることが分かり、思わぬ収穫であると小踊りした記憶がある(何でそれまで気が付かなかったの、と言うのは無しね)。ダブってみるのもたまには良いものだ、と…。異版の詳細は異版セイシン・リポートを参照のこと。

【生活文化】ならぬ【世代文化】なる雑誌の話を聞いたのは何時の頃であったろうか。やはり十五年以前であったとか思うが、刊行案内も見せて貰ったし、元々その案内を所有していた人が五、六冊は出ていたと思う、と語っていたことも聞いた。ことある毎に古書店に対して探求書の一つとして挙げたが、そんな雑誌は聞いたこともないという返事しか返ってこなかった。その後、世代文化研究所発行の単行本二冊を手に入れ、全くのデタラメではなさそうなことは得心した。しかし、一向に新しい情報は無く、もしかしたならば、雑誌ではなく、先に入手したような単行本が数冊出ているだけではないのか、とも考えるようになっていた。そんな折、一昨年、遂に出た。揃いではなかったが、十四冊である。やはりあったのか、という感動と同時に、少なからぬ違和感も覚えた。他の雑誌のような性に対する啓蒙や研究が主というよりは、性風俗誌に近い印象であったからである。ガリ版刷りということもあり、蒐集対象にも研究対象にもなり辛い内容であるというのが、正直な感想である。所が、平成十三年五月に平凡社から出た『別冊太陽「地下本の世界」』(米澤嘉博構成)に揃いで掲載されているではないか。流石に、ある所にはあるもんだ、と感心と嘆息の混ざる溜息が出たものであった。

「雑誌資料」以外のページで紹介している、初期【相対】八冊はガリ版刷りのものと一緒であったり、バラバラであったりしたが、長い間一冊欠、一冊ダブリ状態であった。近年、欠号だけ所蔵している人と、ダブリ分に一部資料のコピーを付けて交換、揃いになった。但し、初版二冊と再版一冊(つい最近ネット上の目録で発見したが、梨の礫のまま目録から消えていた)は未入手のままである。雑誌ではないが、戦後に復刻された{相対会研究報告}三十四冊も、最初は第一号から六冊を購入、その後二冊欠けているほぼ揃いを入手、幸いにも、最初の六冊で欠号を埋められたので、ダブリは四冊のみである。何故、中途半端に二冊欠けていたのかは不明であるが、相対に関しては巧く行った方であると思っている。

「珍書屋(戦後の研究会)」で紹介している【近世庶民文化】百冊も会報付きの揃いで入手したが、別冊の資料室が何点か抜けていて、その後の蒐集でも一点未入手のままである。公刊誌の【あまとりあ】五十六冊(昭和二十六年三月〜昭和三十年八月)は総ての付録まで付いてる大揃ということであったが、臨時増刊一冊が抜けていた。後に事情があって更に二冊欠けたが、現在は揃っている。同じく【人間探求】全三十四冊(?)(昭和二十五年五月〜昭和二十七年十二月)も一括であったが、一冊抜けている様であり、復刊も何冊(三冊?)か出ているという話もあって、少しは調べたが、その後はずーっと、調査休止中。

比較的新しい(と言っても、三十年も昔であるが)公刊誌【えろちか】四十七冊(昭和四十四年七月〜昭和四十八年三月)も揃いで買った。これも臨時増刊が一冊抜けていたが後に補充、復刊(五冊?)を一冊ずつ追加して、残りは復刊最終号一冊のみ。しかし、現在は、これも余り熱心には探していない。

どうしても手に入れたいのだが、過去一回、しかも特殊な目録に載ったのみで、他に見たことがなく、未入手のままなのが【雅俗】三冊である。その目録で購入した人は知っているので、誰から誰へ移動したかは分かっている。近年表紙が取れている一冊を譲り受けたのであるが、他に情報があるならば、是非お知らせ頂きたい

こうして振り返って見ると、雑誌に関しては、先の薫陶宜しく最優先で集めたためか、十数年前(発禁本の蒐集を初めて五、六年。地下本はその後)に、目標としたものは、殆ど蒐集が完了していて、その時点で未入手のものは、例外はあるが、未だに未入手のままであることが分る。むしろ、発禁になっている号が少ないので、優先度を下げた戦前の【古今桃色草紙】【でかめろん】【匂へる園】が今集めようとしても集まらない。バラでは結構あるのだが、財布と意見が折り合わなくて手が出ない、という困った状態に陥っている。最初に保存する目的で購入することは少ないと言ったが、発禁になったものは価値が上がると踏んでいたのか、思った以上に残っている、というのが実感である。後は気長に継続するしかないのであろうか……。


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