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閑話究題 XX文学の館 駄文雑録

とほほな「相対」再復刻版

相対再復刻版

よもや新たな活字化などあるはずが無い、と信じていた「相対会研究報告」の再復刻版が出て久しい。

大正から昭和にかけ、あらゆる困難と戦い、発行され続けた「相対」が、主宰者小倉清三郎の夫人である小倉ミチヨ(※1)(小倉清三郎没後は自身が主宰している)によって全三十四冊にまとめられ、復刻版として再び世に現れたのは、戦後の昭和二十七年である。しかし、この復刻版も当局の介入により地上から姿を消した。小倉ミチヨ女史も鬼籍に入り、二度と日の目を見ることは無い、というのが斯界の常識であった。

それが出た。しかも二社から立て続けに刊行された。何処かに存在するはずの、復刻版の揃いを探し出し、発刊に漕ぎ着けたのは驚異としか言いようがない。(※2)

驚愕をもって迎えられた再復刻版である、が、ちょっと疑義がある。

美学館版はA5判三十四冊で復刻版に擬し、銀座書館版はA4判上下二冊に資料毎に再編集した形で出版されたが、両版とも復刻版の校正ミスを正すなど良心的に出来ている(資料としてはどうもという感じもするが)。

ミスの正し方が正しくないため、傷を深くしている部分などは愛嬌としても(「相対」異聞(改訂版)「4−3−1.[唄に於ける春的要素]の番号のズレに就いて」の補記)、これは何だろう、と言うのが第34号所載の「Kといふ男の日記」の一部分の欠落である。「原本ニ頁欠」として両版共同じ所が抜けている。欠落自体も勿論問題ではあるが、落丁している部分を、無いものは無いとし、適当に辻褄合わせをしないのは復刻する態度として立派である。

ところが、その欠落している部分を復刻版原本と比較すると、唖然とさせられる。
欠落している2ページは、18ページ19ページである。
言っている意味がお判りか?
普通書籍のノンブルは扉(雑誌の場合は表紙)をページ1とし、順に番号が上がって行く。
これでどうだろうか?
つまり、若い奇数ページが表であり、偶数ページはその裏になる。
偶数ページが若いと言うことは…
何のことはない、見開きではないか。
見開きが欠けてるって!?
そりゃ落丁じゃなく、コピーが1枚紛失しているというこではないか!!
編集用にコピーを作成したのであればコピーし直せば良い話なので、現に再復刻されていないと言うことは、コピーしか存在してい無かったということである。 正にとほほ、何処が復刻版の揃いなんだろう。

この資料実はもう一個所欠落している部分があり、「前半部欠」として書き出しが抜けているのである。そしてこのページはもうお判りのように1ページ目である。2ページ目はちゃんと復元されている。

多分、大部分は本当に復刻版の原本から起こしているのだろうけれど(※3)、これでは幾ら力説しても説得力に欠ける。折角欠落していることを正直に認めたのであるから、原本が見付からなかった部分はコピーであることを告知しても良かったのではないだろうか(この号の落丁が激しく、多くをコピーで補っていた、との言い訳も有るには有るが…)。


※1: 本名は道代であるが、自身ミチヨ名で復刻版の世話人になっているので、そのままとする。
※2: 全冊揃いを所蔵している人が、再復刻に協力するとは考えにくいからである。 内容がそっくり復刻されてしまっては、時間的にも金銭的にも苦労して手に入れ、現に所蔵している意味が無くなってしまうので、よほどのことが無い限り、蒐集家は協力しないと考えて良い。 さらに言えば、再復刻当時はまだこの種の出版が今日程解放されていず、刑事罰の可能性、押収(考えたくもない)の危険等を顧みず、などということは、蒐集家が最も嫌う点である。
※3: 復刻版の裏表紙には奥付に相当するものが印刷されており、美学館版では各巻の裏表紙の裏に復元されている。これが、1号以外は総て復刻版と異なると言うのも気になるのだが…

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