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閑話究題 XX文学の館 秘本縁起

「壇ノ浦」公刊本編


公刊された「壇ノ浦」、と言うことは、とりもなおさず摘発を受けた所謂発禁本である、ということです。近世から既に秘本として有名であった「壇ノ浦」が公刊本として世に出ることは戦前では考えられず、出版法が廃止され、たてまえでは表現の自由が憲法で保証された戦後に於いてもそれは同じです。その様な状況でも公刊に踏切り、討ち死にしたものです。


壇の浦夜合戰記(銀河書房版)

戦後の艶本出版花盛りの昭和二十六年十月に銀河書房から発行されました。艶本のホットパートをそのまま表出することはまだ不可能な時代でしたから、当時の他の多くの艶笑文学と称したものがそうしたように、文章を書き換えて、穏やかな表現に直すのが、出版するための普通の方法でした。 所が、この本が画期的であったのは、文章の書換を行わなかったことです。地下で流通させるのならばいざ知らず、公刊本で艶本をそのまま出版するということはかって無かったことです。 しかし、全くの無修正ではさすがに公刊は出来ないと判断して、換字を施しました。編者の藤井純逍に言わせれば暗号化です。平仮名の字源なるものを使用し、平仮名一文字に漢字一文字を当てる単純なものですが、ホット・パートを含め省略は一切無しでの公刊です。 元本は石神書店が出した地下本「日本珍書復刻集」と言われています。

この本の特徴は、今まで「源平盛衰記」とか「壇の浦戦記」、或いは単に「壇の浦」とか呼ばれていたタイトルに「夜」を付けて「夜合戦記」としたことでしょうか。 この題名を引き継いだ三崎書房版の影響が大きいのでしょうが、以後一般には「壇の浦夜合戦記」が通称となりました。 藤井純逍はその後も『続壇の浦夜合戰記』と題した「壇の浦」の続編を思わせるものを先と同じ方法で暗号化して出していますが、内容は「壇ノ浦」とほとんど関係のない『大東閨語』です。この本も摘発されました。

壇の浦夜合戰記(銀河書房版)
表紙
本文
換字部分の拡大
判型B6判頁数109
著者藤井純逍編
発行銀河書房
刊年昭和二十六年十月十五日
注記暗号化と称してホットパートを換字している

壇の浦夜合戦記(三崎書房版)

三崎書房から昭和四十三年十二月に光明寺三郎の訳で刊行されましたが、同社の刊行物である「フロッシー」等と同時に摘発を受けています。一審では本書のみ無罪でしたが、控訴審で逆転有罪、最終的には有罪が確定しています。 収載されていたのは『壇の浦夜合戦記』の他に、『続壇の浦夜合戦記』と題した『大東閨語』です。 タイトルが『夜合戰記』になっていることや、併載された『続壇の浦夜合戦記』から見ても、銀河書房版の影響を強く受けていると言えます。 特に、『大東閨語』『続壇の浦夜合戦記』とする必然性は全く無く、平仮名の字源をそのまま使用している所からも、丸写しの可能性も否定できません。

壇の浦夜合戦記(三崎書房版)
表紙カバー
本文
判型B6判頁数278
著者光明寺三郎
発行三崎書房
刊年昭和四十三年十二月一日
注記『続壇の浦夜合戦記』(『大東閨語』)を併載

三崎書房から公刊されたものが摘発を受けた後、秘かに刊行されたものがあります。奥付が無く詳細は不明ですが、中味は三崎書房版そのものです。カバーを取った表紙は少し異なりますが、元々は同一の版下であったことが想像できる作りです。 何故この様なものが存在するのか全く不明ですが、本文が同一の版である所から、押収を逃れた分の表紙を付け替えて地下頒布に踏み切ったものでしょうか。或いは、摘発を受けたことで価値の高騰を当て込んで増刷したのかも知れません。 何れにしても想像の範疇を出ません。三崎書房が絡んでいるのかどうかも判然としません。

三崎書房版表紙
地下版表紙
並べてみると

秘籍江戸文学選『幽燈録』

日輪閣から昭和五十二年四月に{秘籍江戸文学選}の第十巻として、『春調俳諧集』(歌仙「船いくさの巻」、「下がかり並べ百員」)と一緒に収録されました。 俗称の『幽燈録』のタイトルで訳出、ホットパートは総て省略している。但し、漢文の原文(白文)はそのまま総て掲載していますので、漢文の素養がある人には無削除全面公開と同じです。 白文を読める人が当局にいなかったのか、『幽燈録』では何のことやら分からなかったのか、この本は摘発を受けていません。

秘籍江戸文学選『幽燈録』
表紙と箱
原文
判型A5判頁数309
著者山路閑古校注
発行日輪閣
刊年昭和五十二年四月二十八日
注記『春調俳諧集』に併載

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